MyPacE

自分のペースで進み行く、全スキルマスターと言うお馬鹿な山頂へ。

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Monochrome  

―――ある夏のある日に、彼から聞いた青年は、この日が命日だと思ってたんだ。

Pixivテーマ企画【ある夏の僕だけが知っている物語】の参加作品 



【Monochrome】



 夏は、不思議な出来事が沢山起こるんだよ。
 彼は1人心地に、ぽつりとそう呟いた。

 さざ波が忙しそうに顔を出しては引っ込め、それに流されている砂はコロコロと小さな粒が各地移動する。サラサラと撫でる風は日に照らされ、蒸し暑い空気を送り込んでは人々の顔を顰めさせた。あぁ、暑いんだろうなと彼はせせら笑う。日陰に隠れた彼は、入り込む空気もひんやりとして気持ち良さそうに目を細めた。エメラルドグリーンの、まるで宝石の草原と思わせる海が辺り一面に広がり、波が静かに揺れる度にキラキラと白く光る。
 毎日見ても飽きない。彼の庭には毎年それほど多くはない、寧ろかなり少ない数の観光客が訪れた。ある日は2組のカップルと1組の子供連れ家族、ある日は友達らしい2人の男性と1人の女性、ある日は5人ぐらいの少年と少女がはしゃぎ回る。流石にこれほど少ないと、誰も来ない日もザラにあった。
 遠くから聞こえてくるジリジリと鳴く蝉の合唱は、波の音に飲まれて涼しげで、とても静かな空間で彼は鼻歌を歌う。海と空と砂と、それぞれ栄えているのを誇らしげに思いながら、彼は名も無い歌を口遊んだ。土に還ったであろう、セピア色の記憶で出会った人から教わった歌を、忘れることも無く歌った。

 ある日、たった1人でこの場に訪れた青年に、彼は興味を持つ。
 洞窟から浜辺までの距離はかなり開いており、それを人間の肉眼で観察するには、到底無理な話である。しかし、人間であればの話であり、彼は目を凝らすこともせずに青年を視界に捉えた。
 白いTシャツ1枚に、灰色のカーゴパンツを履き、腰には季節外れのウインドブレーカーを巻きつけている。ごく普通の人間であったが、彼の瞳はキラキラと無邪気な子供のように瞬かせた。黒髪のショートカットと焦げ茶の瞳と、何の変哲もない外見。この季節らしさを感じさせる、日に焼けた赤茶色の肌をした青年は、ゆったりとした歩調で波打つ海へと近づいていく。
 背には大きな鞄を背負っていることから、恐らくは旅人だろうか。纏う雰囲気は、此処周辺に住んでいる田舎者とは到底思えず、彼はますます覗き見るように顔を出した。東京から来たのだろうか。どうしてこんな、ド田舎で海以外何もない不便な場所に訪れたのか。聞いてみたい衝動を抑えながら、彼はじっと見守る。

 どうして、不思議な出来事が起こる、この砂浜に来たのだろうか。
 何もないと思われるド田舎であるが、たった1つ、この浜辺の存在を人々に知らせる話があった。
 『誰も居ない浜辺に足を踏み入れると、二度と帰って来られない』と。そんな『噂』が広まってから、好奇心で心を躍らせた人々を何人も見てきたが、彼は声を掛けることもしなかったが……。しかし、ふと小耳に挟んだ世間の『噂』は、7割だけ『事実』だ。

 果たして、青年はそれを知って、それでも1人で此処に訪れたのだろうか?

 生まれた時から備え付けられ、時と共にそれは恐れと共に失われていく心が、視界に入る波のように押し寄せてくる。ぼんやりと地平線を眺める青年を前に、とうとう抑えきれなくなった彼は薄暗い洞窟から出た。
 強い日差しで肌を焦がす感覚に、冷たい海水がベールを包み身を守る。足を上下に動かし水を蹴り、息継ぎもせずに突き進んだ。距離を縮める毎に色んな疑問が浮かんでくる。それをスッキリさせたいが為、青年に接触しようと心に決めた。

 彼が泳いでみれば、あっという間だった。
 すぅっと塩辛い水を吸い込み、喉に通すと彼は咳き込む。下半身にはヌメリとした泥のような感触が襲い、瞼を閉じて涙を浮かべた。それはすぐに海水へと溶け込んでいった為、泣いたと知っているのは彼だけに留まる。
 足を動かし、ぱたぱたと2本に分かれていることを確認してから、透明なベールから上半身を突き上げ破った。

 ―――ザバァ

 水飛沫を上げ、彼はちくちくする砂の上に足を付けて大きく背伸びする。わかめのように貼りついた、女の子のような茶色い長髪を手で掻いては背中へと投げた。燦々と照らす太陽が今や気持ちが良い。呑気に感覚を確かめると、彼はニッと笑う。
 目の前には、先ほどよりもずっと大きくなった青年が目を丸くして見ていた。1人だったはずが、急に海の方から人が泳いで現れると、驚かない方が無理がある。
 しかし、そんな反応はもう慣れたと言わんばかりに彼は動じない。
 水瓶のように溢れ出る質問を一旦固く蓋をして、ぺこりと頭を下げた。

 「こんにちは、おにーさん」
 「あんたは……?」

 にこやかに笑う彼は挨拶をする。未だ信じられないと言うよう注目を浴びせる青年は、何とかそれだけ喋って問いかける。恐らく聞きたいことは数多いだろう、その中の1つを選ぶことが出来ず、彼は首を45度程傾けた。
 そう言えば、と彼は思い出す。人間は初対面の時、必ず声を掛けた方から名乗るのが礼儀だと聞いた。「あぁ」と幼い印象を与える無邪気な笑みを浮かべ、彼は口を開く。

 「僕はクーって言うんだ。 おにーさんのお名前は、なんていうの?」

 疑問を表すよう首をまた傾げれば、青年は未だ唖然とする様子が抜けない。覚えやすいはずだが青年は何故か彼の名前を小声で繰り返し、そこでやっと青年は身じろいだ。潮風が通り、服を撫でて真っ黒な髪が僅かに揺れる。警戒しているのか、焦げ茶の瞳は少々目つきが鋭い。

 「目黒、修斗だ」

 青年は言葉飾らすに答えるが、その3秒後に「無愛想だっただろうか」と眉をひそめた。しかし、そんな心配も無用だったらしく、疑問が1つ晴れたからか彼はきゃっきゃとはしゃぎ出す。足首まで引いた海水をパシャパシャと足で蹴ると、上がった飛沫が彼自身にかかる。それを怪訝そうな表情で眺めるのを尻目に、ふんふんと鼻歌を歌い始めた。

 「しゅうとおにーさーん、なーんでこっこに、やってきたー?」
 「…………」

 そう彼は、純粋な疑問を出鱈目な歌に乗せて聞く。歌ってる自身も初めて聞く滅茶苦茶なメロディーに、再び呆気にとられる修斗は目を大きくした。そして束の間、僅かに首を傾ける。その仕草を見逃さなかった彼は、大袈裟に声を上げた。少年のような高く、だが何処か酷く落ち着いた声が、蒸し暑い空気を震わせる。
 まるで、この浜辺に立ち寄ることに理由なんて要るのか、そう聞き返したいと言わんばかりの視線を向けてきたのだ。彼はクリクリと丸い瞳が数回瞬きして考える。都会にすら広がっているらしい『噂』を知らずに、わざわざこんなド田舎へやってくる都会人など、今まで出会った人の中で居ただろうか。

 「しゅうとおにーさんは『噂』を知らないの? 」
 「『噂』……?」
 「うん、『誰も居ない浜辺に足を踏み入れると、二度と帰って来られない』ってお話」

 面白半分で来た人は、相手にされないみたいだけど。そう付け足した彼は、ピシャリと足にまとわりつく水に八つ当たりするように蹴った。
 クルリと背後へ180度回転し、何処までも続く寒色で染められた風景を一望する。燦々と紫外線を降り注ぐ日の光に、暑さを引き出すよう蝉が喧しく鳴く。それすら忘れさせるほど冷たく、気持ちの良い景色が視界いっぱいに飛び込んでいた。

 何も知らず、此処に訪れた人々は皆、誰に目撃されることも無く、キラキラと七色に輝かせる海水に飲まれて溺死する。そう伝えられている謎の多い、半ば都市伝説のように広がっているのだ。興味本位で訪れる人には、何の異変も起こらず帰っていくのだから、正確な情報は未だ掴めていない。
 ただ1つ、それ以外の訪問者は必ず海の上か、波に打ち上げられた時は死体として発見される。それで彼は、何人もの友人を失った。

 「大丈夫じゃないかな」

 ふと掛かった声は低いが、凛と透き通る穏やかな口調。
 それが青年のものだと気が付くのに数秒要し、微妙な間を開けてから彼は顔だけを相手に向けた。

 「お前……クーが居るから、『噂』の心配は無用じゃないか」

 初めは言われた意味が分からず、彼は10秒程石になる。そして抱いた感想をそのまま「変なの」と声に出したが、波の音にかき消された。ふっと笑いがこぼれて、彼は小さな首を横に振る。湿った長い髪が肌に貼りついた。



 「僕はね、人間じゃないんだよ」

 彼の告白に、青年は驚くことがなかった。前々から感づいていたように、瞬きをすることなく真っ直ぐと彼の目を見据える。しかし、視力でも悪いのだろうか、焦点を合わせようとしているのか眉間のしわが深まった。
 そんな青年の瞳に、彼は寂しげに笑う。人間ではない、この世界では何者かにも属さない。ただ奇妙な力を持った化け物であることを、普通ならば信じて貰える方が無理があるような話を、真剣な顔で明かす。人間ではないからと。事実上彼の目の先にいる青年は、たった1人だけ知らずに立ち寄ったことになるのだと、なるべく危機感を与えるように話した。

 すると青年は、口に緩い孤を描きながら、苦笑染みた笑みを溢す。
 あぁやっぱり、人間は生きたがるのが本能なのかな、と彼は心の底で溜め息を吐いた。

 「それなら都合良い」
 「……え?」

 彼が予想していたそれは、青年が他人事のような調子で返された言葉で、軽々と覆される。今まで、何と言われていただろうか。何故何も知らず訪れただけで死ぬことになるのか問い詰め、まだやり残したことがあると泣きながら頼み込み、仕舞には大人をからかうなと鼻で笑うか怒鳴る。人間はある日突然死が訪れるとなると、例え優しい人でもコロッと人が変わる。
 それを何度も目撃してきた彼にとっては、少なくとも青年のように、しかも気持ち良く認めるなど信じがたいことだった。大きな瞳をぱちくりさせながら、やがてふにゃりと笑って見せる。嬉しそうで、少し寂しげな顔。

 「じゃあその前に、色々聞いて良い?」

 彼の脳内で、塞き止めていた水瓶の蓋を開けて、思う存分に解放した。快諾されたのに甘えて、遠慮なく多数の疑問をぶつけては、彼は少しずつ満たされていく。出身は何処か、東京の都会。都会は楽しいか、人が多いがその分様々な店もあって退屈しない。何をしているのか、様々な景色を眺めに旅している。写真家か何かなのか、画家をやっている。

 それなら絵を描いてくれないか。
 彼が聞くと、青年はすらすらと答えていた質問で、初めて言葉が詰まった。

 何故答えられないのかと問えば青年はへらりと笑いつつ、だが茶を濁すばかりで。不満に思った彼は、ぷっくりと頬を膨らませて問い責めだした。そうか分かった、道具忘れてきたの? いや、持ってきてはいる。じゃあ僕が人間じゃないから?違う、出来るならクーを描いてやりたいよ。何で描いてくれないの、もしかして嘘だったの?嘘じゃない。
 雨のように降り注がれる彼の疑問に、1粒1粒丁寧に掌ですくっては空へ返した。

 「もうっ! 何で教えてくれないのさぁケチ!」
 「……別に、好きで意地悪している訳じゃない」

 とうとう痺れを切らした彼はそう叫び、熱を込めても尚冷静に受け止めた青年は言う。その声色は、彼には揺れているように思えた。自分から話すようなことはあまりない、口数は少なく感情も読み取り辛い。しかし、この一言だけはとても分かりやすいもので、酷く悲しげに震えていた。
 人間は好きなことをするのに、それを許さないパターンがいくつかあることを彼は知っている。1つは誰かによる反対意見に従う場合、1つは金銭的な余裕が無い場合、そして1つには体に何かが欠けている場合。

 すると、彼の視界はぐらりと歪んだ。

 「ふふ、のぞいちゃおっ!」
 「なっ……!」

 ぐにゃりぐにゃりと、無邪気に微笑んでいた彼の体は、まるでスライムのようにぶよぶよと崩れていく。今まで一番驚いたであろう青年の体へと勢いよく突進した。ぎゅっと目を瞑り体を強張らせ身構える。しかし不思議に痛みはなく、大丈夫だよと潮を乗せた生温かい風が髪に触れ合図した。
 彼の気配はどこにもない。辺りを見回しても、後ろへ振り返っても、波打つ海の中へ探しても、確かに跡形なく消えていた。そうとなれば、一体何処へ行ったのか。そこで青年は彼が消える前に、相変わらず子供の様にはしゃぐ声で発した言葉を思い出した。
 覗き見るって、何を?

 『わぁー、何これぇー!』
 「!?」

 疑問が浮かんだ直後に脳裏からあの声が、彼の声が高々と響いた。あまりに不可解な出来事に、青年は驚愕しそうになったところで口を噤む。この現象は、まるでアニメや漫画の中でしか生じることがないはずの、テレパシーや乗り移りではないか。ただ空が浮かび、海と浜がじゃれ合っている光景を目にしながら唖然とする。
 混乱気味な青年を尻目に、また彼の声は脳内で再現される。あまりに動揺している姿を眺め、あるいは感じてクスクスと笑いを堪えていた。気が済むまでは黙って好きなようにさせ、落ち着いてきたところで青年は口を開く。

 「一体、どうなって―――」
 『ねぇねぇ、何で色が付いてないのー?』

 彼はその疑問に答える様子もなく、ただただ好奇心を全開にした容赦ない質問が飛ばす。興味深いものを前にして、あれは何だと納得いくまで質問攻めする子供のようだ。この場合納得と言うより、彼の知識で理解出来るかどうかの問題であるが……。
 この世界へ生まれてきて、もう指ではとっくに数えられない同じ質問に、青年は深い溜め息を吐いた。夏日で眩しいがそれは純白で、空は寂しいぐらいに灰色で覆い尽くしている。その下で光を受ける海や、波に弄ばれている浜辺は灰色や白ばかりだ。そうだ、青年はこの場所に訪れてから……いや、生まれてからずっとこのようなモノトーンに囲まれて時を渡り歩いていた。

 「……色が見えないんだ。 驚いただろ」

 答えは返って来ない。恐らくこくりと頷く動作だけで、声を出さなかったのだろう。
 乗り移っている者へ、青年は感情を込めず言葉を並べた。傍から見れば独り言を呟く不審者に間違いないが、幸いにも彼が言っていた『条件』が合致している今、心配することは何1つ無い。いつも見てきているモノクロカラーの景色を眺めながら、青年は自嘲気味に笑った。彼へ念じるよう、瞼を閉じてゆっくりと話す。

 「モノクロの絵なら確かに描ける。 だけど絵具も何も、色ついているのは白か灰か黒」

 青や緑がどんな色なのか青年は知らない。強いて言えば、先ほど上げた3色のことなら他の誰よりも知っていた。淡々と語る青年は、慣れたように動く白黒写真を視界に入れる。

 「何処を見てもその3色、ある日にその不満が爆発して都会から抜け出した。 一番綺麗な場所を色んな人から聞いて回っては、その場所に踏み入れても大した感動も覚えずに立ち去ったよ。 何度も」

 青年が旅をして回ってる本当の理由、ありもしない可能性を夢見て家から、都会から抜け出した。いつしかイカレた白黒の視界にも、たった1色でも目に見ることが出来るのではないかと。そんな持病の原因は熟知している、それにも関わらずこの世に存在しない物を求めて歩いてきたのだ。「此処なら絶対気に入る」と押された場所を見ても、ただの見慣れた3色が踊るだけ。そしてこの場所も、いつも通り見慣れた3色だけが歓迎している。

 うんざりしたように溜め息を吐いた青年だったが、やがて不安が一筋の線を引いた。先ほどから青年だけが口開いてばかりで、相槌も返答も質問も飛んで来ない。いよいよ心配になってきた青年は、決して見えない自分の脳へ向かって声を掛けた。

 「大丈夫か、クー」
 『キレイだね、しゅうとおにーさんが見る景色』
 「……え?」

 そう呟いた彼の表情は窺うことが出来ない。だが確かに、彼はうっとりした声色で言ったのだ。モノクロだけの景色が綺麗だと。次は彼が青年の予想を覆す番だった。たかが3色だけで成り立っている景色はつまらないだろう、きっとすぐに飽きて退屈するはずだ、色があっても綺麗じゃないのか。そう問うにも彼は全て「ううん」と首を横に振った答えを示す。
 やがて青年は、珍しく質問を全て跳ね除けられ、呆れて思わず苦笑を漏らした。

 『色があったら、おにーさんもすごく感動すると思うよ』

 未だ見とれているのか、何処か夢を見たようにふわふわしている調子で彼は言う。

 『でも、色がなくてもこんなにキレイに見えるなんて思わなかった』

 それはどういう意味か、青年は首を捻ってみたものの、答えらしいものは出て来なかった。そもそも青年は3色以外の色を得ていないのだから、両方の世界を見た彼にしか分からないことがある。それに話を聞くところ、彼は大分昔からこの場所で過ごして来ている。それが何よりも証拠となり、説得力にもなった。
 色がなくとも美しく見えるのなら、色が付けばとても美しく、感動的な光景を目に出来るのだろう。青年にとって、それが羨ましくて仕方がなかった。彼だけではない。両親も友人も、友人ではないまだ出会ったことのない人だって、きっと色に溢れている光景をつまらないと言った表情で眺めている。それがとても寂しくて、羨ましい。

 だから。

 『ねぇねぇ、しゅうとおにーさん。 良かったら"これ"、交換しない?』

 そんな普段ではあり得ない言葉に躊躇いながらも、彼の提案に喜んで応じたのを覚えていた。



*****

 目を覚ますと、真っ先に飛び込んだのは板チョコのような模様が広がる天井だった。
 見慣れない光景に、何よりも違和感が真っ先に襲った空間に3度瞬きする。窓から差し込む西日は、いつもの白い光ではなく何処か温かさすら感じた。夏の日差しは、いつでも当たれば半端なく暑いのだが。額に貼りつく汗も忘れて、修斗はじっとそれを見つめた。
 焦点を合わせているのは、何も夕日だけではない。透明なガラスの窓に囲まれながらも、下から覗かせる山の木々に、ゆったりと申し訳ない程に萎んだ白い雲。そして日と同じく温かな光を受けた空は、微笑んでいるようにも見える。

 10分、20分、どれほどの時間を呼吸だけして、視界を移動させていたのかは分からない。ただただ、明るい光に包まれている、和室の中に敷かれたふかふかな布団の上で、上半身を起こし目を這わせた。強い光に当たらない隠れ場所には影が出来ている。

 「おやぁ目が覚めたかい、目黒さん」

 すぅと襖が開き、目を丸くした女将らしい40代ほどの女性が入室した。どうも、と声を出して会釈したつもりであったが、その声は喉に引っかかり、そのまま飲み込まれる。失礼なことしてしまったと、怪訝そうな表情を浮かべる女性を見て後悔するものの、修斗は顔に出さなかった。その代わりに1つ、尋ねた内容だけはやけにハッキリと声に出る。

 「女将さん、俺はどうしていたんですか?」

 あの後、頷いた後の記憶が途切れたみたいにまるでない。部屋を見渡している間、何故此処に居るのかと頭の中の糸を辿っていたが、その先を見つけても長さが足りなかった。それは意識を失ったからなのか、無意識だったのかは分からない。そしてあの後、彼は一体どうしたのか、気にかかって仕方がなかった。

 「あら、覚えてないの? 浜辺に倒れていたのよ、見つけた時は寝ていたみたいだけど、違うの?」
 「……よく、覚えてないんです。 それじゃ、誰かが助けに呼んでくれたとかは」
 「あなた1人だったわ。 危ないと言ったのに、まさか本当に行ったなんて思わなかったわよ」
 「…………」

 女将から告がれる状況の説明に、修斗はとうとう口を閉じる。たまたま車で通りかかったところで、誰かが倒れていると傍へ駆け寄った女将の旦那が運んできてくれたようだった。倒れている人以外に人影は見えず、首を傾げながらも宿へと連れて帰ったらしい。幸いだったのは、この宿を長い間利用していることだった。
 それ以上何も質問が無いと判断した女将は、そこでホッと胸を撫で下ろす。

 「でも、無事で何よりだわ」

 その一言で、修斗の中で何かがバチリと激しく弾けた。気怠さが残る重い体を、無理矢理布団から引き剥がし立ち上がる。何故こんなにも怠いのか、何故こんなにも足がフラつくのか。不調を訴える声にも無視して、修斗は女将へ礼と外出すると短めに伝えてから、バタバタと宿を抜け出した。

 硬く黒いアスファルトに橙かかっている光を踏み、飛ぶように前進して修斗は「くそっ」と悪態を吐き捨てる。覚えている道筋を辿りながら、時々交わる車に目を向けず、ただ駆けた。礼も言ってない、死んでもない、あのキレイだと漏らしていた、風景を目にして感想も伝えていない。何もかもが不燃焼で、それが燃え上がって今や憤りすら感じた。
 何も言わずに消える必要は何処にあると言うのだろうか。草色のペンキで塗られたガードレールを越えて、そのまま黒い石段を1段飛ばしで降りていく。上がった呼吸を落ち着かせることに専念しながらも、別の意味でも心臓がペースアップにドクンドクンと暴れ回っていた。その感覚が妙に気持ち悪い。

 彼の名を叫んだ。目と鼻の先にある光景に、感動を覚える余裕もなかった。いくらか酸素を取り込んだところで、また1つ叫んだ。こんな素晴らしい物を貰ってまで、礼を言わず立ち去るほどの無礼者では無い。何よりもただ純粋に、青年は彼へ色んなことを伝えたかった。
 浜に1人、再び青年は訪れた。人間の肌と同じ色をして、今は夕日に照らされ修斗の頬のようほんのり赤くして、時々砂に紛れた星がキラキラと光る。柔らかなその砂を踏んで、疲労でガクガクと笑う膝に踏ん張りを聞かせながら、今度は思い切り彼の名を叫んだ。

 再会は願えない。
 それが彼であることを分かっておきながら、敢えて知らない振りをして地平線へと投げた。真っ赤に燃える炎を消そうと、暗く冷たい夜空が迫り始める。それに合わせて、ゆらゆらと楽しげに夕日と遊んでいた海は、死んだように光を失っていった。暗く深い闇が、包み込み始める。
 修斗はそんな中でただひたすらに、頬に透明な川を1筋、2筋作りながら呼んだ。

 彼と再会を果たすことは、二度と来なかった。
 何故なら、青年はもう『噂』の正体を知り、訪れたことになっているのだから。





 夏は、不思議な出来事が沢山起こるんだよ。
 翌日、村を出た青年は、話し相手へとそう呟いた。





 公開:13/09/08

category: 一次創作

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コメント

クーって、姿の描写が出てくる前、
ずっと自分の中のイメージはサハギンだったよ・・
ごめん、ごめんよぅ~><
マビノギのやりすぎだと思うんだ。うん。

飛燕想 #- | URL
2013/09/13 00:27 | edit

Re: イメージは大切

そうか、わんちゃんもサハギンに恋し始めたのだな…。
クーの詳しい描写、実はあまりしていないと言うオチ。
人間の姿になれるけど人間じゃない、日本には住んでいないはずの奇妙な生き物。
イメージとしては人魚のようなものだけど、各自自由に想像して大丈夫だよw

赤髪の人 #- | URL
2013/09/13 12:05 | edit

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